2009年10月17日土曜日

I need change.


エストニアに来てそろそろ2ヶ月。こちらの生活にも完全に慣れましたが、自分にとって、少なくとも1年間しか過ごせない人間にとっては、落ち着いてしまうことは害毒以外の何物でもないように最近思えてきました。

タルトゥに来て間もない最初の2,3週間は、街を散策して,写真を撮って、いろいろなお店を巡って、自炊に悪戦苦闘して、周りの人にじろじろ見られて、新鮮さ、有意義さに満ちた日々を過ごせたのに、授業が始まって生活リズムが固まると、日本の大学生活とあまり変わらない日常に感じてしまいます。

何かしらの刺激を日々の生活に与えないといけない。今の自分は、留学という貴重な瞬間が無意味に流れ去っているのを傍観しているだけな気がする。

回りの環境に対する好奇心を持ち続ける必要がある。どんなに面倒くさいことでもやる必要がある。常に自分の生活に新しい風を吹き込むために、考え続けること、そしてそれを実行する行動力が非必要だ。例えば、「外は大雪だから今日は部屋にいよう」と考えたとしたら、その時点で今日得るものはゼロになる。ただ、「留学から必ず何かを得なければならない」というように義務的には考えたくない。「自分自身が一番楽しんでいる時が、たくさんのことを学び、吸収できる時だ」という言葉を、出国前に大学の先輩から頂いた。これ以上思考に奥入りしても無意味なので難しい話は抜きにして、単純に日々の生活が退屈になりつつあるから、何か刺激を欲している、ただそれだけです。全ては毎日を楽しく過ごすため。経験がどうとか、そういう事は自分が実際に何かに挑戦した後に考えるべきことだ。

ということでここ2、3日は、どうやって毎日に異なる色を与えることができるか、どのような方法が考え得るか、何が必要か、タルトゥの地図を眺めたり、尊敬すべき日本の友人の話を思い出したりして、打開策を模索しています。このブログを読んでくださっている方々、もし何か良いアイディアがあればコメントお願いします。

上の写真は、ルームメイトの Tuomas が解剖学の授業で使用している頭蓋骨です。顎が猪木っぽい。

明日から、1泊2日でエストニア南部への旅行に行ってきます。

2 件のコメント:

  1. 猪木だw


    ども、君以上に無色の日々を送っております某K氏です。
    そんな僕からアイディアを一つ。

    自分が留学に行ったら、日本語を教えるボランティアか何かをやりたいと思ってる。
    もちろん教師になりたいからっていうのもあるけど、それ以上に何かを与えたり残したいっていう考えが強いかな。

    留学中の姿勢には受動的姿勢と積極的姿勢の2タイプがあるけど、積極的姿勢の中にも少なくとも2種類あると思う。
    一つは自ら「知る」積極的姿勢。
    これはこの2ヶ月でnaoyukiが実践してきたこと。

    もう一つは自ら「働きかける」積極的姿勢。
    「知る」ことは、影響が自分にしか及ばないという点でまだ受動的姿勢を含むけど、「働きかける」ことは社会やコミュニティーに影響を及ぼすという点でより積極的だと思う。

    何かやらなくちゃとか、変化を求める必要性からアクションを起こすことがchangeのための唯一の方法じゃないのでは?
    仮にも一年間そこの人間として生活し、成長できる機会を社会に与えてもらっているなら、こっちからも社会に対して何か還元できることがあるかもしれない。
    そういった想いからもし何かを与えることができるなら、間違いなくそれ以上に得るものがあると俺は思うんだよね。

    ただ、それも何かを得たいからやるんじゃなくて、何かを与えたいという想いを行動に移した結果、何かを得られるというような関係であるべきだと思う。

    これはあくまで一つのアイディアだから。
    決してボランティアやれってことを言いたいのではなく、言いたいのは視点や行動のベクトル、アプローチの仕方を少し変えるだけで新しい刺激はいくらでも得られるってこと。
    エストニアではnaoyukiは”外国人”なんだから、そのメリットを活かさなきゃもったいないよ。

    これは受験とかスポーツじゃないから、結果を求めて行動するよりは、行動した後にどんな結果が得られたのかを振り返った方が気が楽だよ。

    生活に慣れてきた今だからできることあるんじゃないかな?


    このコメントが参考になれば幸いですたい
    ではでは。

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  2. 苅田氏
    おひさしぶりでげす

    即物的・かつ安直に生きているあたしの考えとして、
    異国を完全に満喫する、愛するということは、
    その土地の人間を愛することにほかならない、と常々考えております。
    つまりは、エストニアの女と恋をするのです。
    それこそエストニアを真に愛すことと言えるでしょう。
    しかし。
    恋は意図してするものではないんですよね、ご存知の通り。
    だから、愛すってったってそんな簡単やないんですわ。
    でもですな、それこそが、その難しさこそが異国を知ることの真髄なんやとおもうんですわ。
    気づいたらエストニア人に恋してた!みたいな時に苅田さんはほんとーにエストニアに帰化できるとおもいましう。

    ものっそい過ごしやすい季節の日本より。
    みつこ

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