2009年10月29日木曜日

寄り道


2週間ほど前ブログで、何か新しい刺激がほしい、と書きました。コメントくれた方ありがとうございます。

一つの案として、毎日寄り道をして帰ることにしました。いつもと違う道を通って寮に帰る、ただそれだけのこと。それでも、中心街には見つけられない古風なカフェがあるかもしれない、おいしいレストランが見つかるかもしれない、素敵な通りや建物があるかもしれない、普段会わないエストニア人の友人に偶然道端で会うかもしれない、新たな友人ができるかもしれない。もちろん毎日がそんな発見に満ち溢れることはないだろうけど、今日はこの通りを歩いてみよう、明日はここを通ろうって感じで、毎日ウキウキした気分にはなれると思う。そういう冒険心、周囲の環境への飽くなき探求心を常に持ち続けてこそ、この街を、この国を、最終的にはこの国の人々を理解できるようになると思う。義務的に聞こえるからこういう言い方は嫌いだけど、1年しかエストニアには居れないんだから、やれることはすべてやって、見れるものは全て見て、できる限り人と会って、お腹一杯になって日本に帰りたい。

ということで、今日から早速実践。実際に語学授業の校舎から寮へとつながる道と正反対の通りへ入っていくと、まず古風なトラックを発見。興味津津でトラックが通り過ぎるのを見つめていると、運転手のエストニア人が手を振ってくれた。こんなこと何も意味はないんだけど、何か嬉しくなる。1時間ほど歩いていると、10日ぶりに太陽が顔を出し、夕焼けに染まる"Jaani kirik"の綺麗な写真を撮ることもできた。寄り道したからこそ、その瞬間に立ち会えた。毎日どんより曇り空のエストニアの秋に、あんな綺麗な風景を見れたのは寄り道した甲斐があってのこと。「寄り道」は続ける価値があるなと思った。

明日から2泊3日で、エストニアの首都 Tallinn へ行ってきます。

2009年10月28日水曜日

日本語ボランティア

10月25日でサマータイムが終わり、日本との時差が7時間となりました。

初めてサマータイムという制度の効用を実感しました。1時間長く寝ていられる、夜が長くなる etc...

それはともかく、10月になって大学の日本語授業のボランティアを始めました。タルトゥ大学には、ミヤノさんという日本語教師の方がいらっしゃいます。実はタルトゥにはもう一人、北大からの日本人留学生チエコさんがいて、2人でたびたび授業にお邪魔させてもらって学生の会話相手を努めています。

エストニア人学生はとてもシャイなので、会話を弾ませるのが大変(笑)先生から、「とりあえず何か話して」って言われても、全員が自己紹介した後はほとんどの人がだんまり。「エストニア語話せますか」と質問されたから、自転車でバルト3国を旅する計画があるといったら、苦笑いの後に「頑張って」と一蹴(泣)

エストニア人の内向的な性格はどこか日本人に似ているところもあると思う。会話の必要がないときは無駄のことをベラベラ話したりしないし、外国人、特にアジアやアフリカの人と話すのは少し怖いのかな(笑)

まぁ、日本人も欧米の白人に英語で話しかけられても最初は怖気づくと思うけど。早稲田のロシア語の授業にロシア人が来たとしても、誰も積極的に質問したりしないだろうな。

クラスには、フラットメイトで香港からの留学生の Scottie という女の子もいます。Scottie は日本語を勉強して1年。他の学生は全てエストニア人なので、積極的に日本語で発言しようとする Scottie と、言い方が悪いですけど、ある意味消極的なエストニア人の国民性の違いといったものが浮き彫りになって面白いです。

まぁ、シャイなのが悪いわけではないし、語学の授業でせっかくネイティブの人が来てるんなら積極的になったら、ってだけです。エストニア人はシャイで積極的に他者に働きかけるような人たちではないだろうけど、優しさ、心遣い、歓待心が、北国の寒さで硬直した、微笑みをたたえないその表情の裏に隠れているんだと思います。

とはいったもののエストニア人全員がそうなわけでもなく、チューターの Pille のように話し出すと止まらない人も中にはいるわけですが、エストニア人がシャイだからどうこう言うんじゃなくて、彼らがシャイだと知っているからこそ、こちらが何か工夫して彼らを授業に引き込んでいく工夫をしなければならないでしょう。

エストニア人と一番仲良くなる方法はやはりエストニア語で話すことです。仲良くなったエストニア人の学生や、エストニア語の授業の先生の Mervi とFacebookでコミュニケーションをとるときはいつもエストニア語で書くようにしています。ネイティブの文章を肌で感じることができ、語彙増強にもなり、会話データを保存すれば教科書にもなる。勉強を始めて2カ月、全ての友人から信じられないぐらい上手だと、お褒めの言葉を頂戴しておりますが、それもこれも優しい優しいエストニア人のおかげです。

今後も彼らの助けを借りつつ、1年後にペラペラとエストニア語を話して颯爽と自転車の旅をしている自分を想像しながら、日々勉学に励もうと思います。

午後17時の時点でとっぷりと日が暮れているエストニアより。

2009年10月24日土曜日

Party with Estonians

昨晩はエストニア語の授業のクラスメイト、Seiiti のフラットのパーティーに行ってきました。

日系ブラジル人3世のSeiitiは、驚くことにスイスのジュネーブで国連の弁護士として働いていたキャリアマン。仕事の多忙さに自分の人生を見つめ直し、新たな人生をスタートさせるべくエストニア人の彼女のいるタルトゥへとやってきたそうです。さすが元国連職員だけあって、タルトゥ旧市街の中心に位置する彼の自宅は超豪華。Seiiti とその彼女、彼らの友人のエストニア美女2人、エストニア語の先生のMervi(写真右の人) 、ドイツ人の女の子2人、香港人の Eugene と僕の9人で、料理やドリンク、デザートを作りました。女性陣が3分の2を占めていたので、男性陣は雑用係、写真撮影などに追いやられ、途中、電気の大量使用によってブレーカーが落ち、さらには家主の2人がブレーカーの位置を知らず、電気工を呼ぶために30分以上料理が中断されるなどのトラブルも。

エストニア語の先生の Mervi がいたため、会食中の話題はエストニア語へ。正規のエストニア語の先生が休暇中のため、Mervi が代理として授業を担当してくれています。この授業が初めて受け持つクラスのため、授業中文法の説明に苦戦したり、学生のテストの結果に神経質になったりしてますが、質問に対してしっかり調べて答えてくれる優しく学習に協力的な人で、普段の何気ないしぐさも愛嬌があって親しみが持てる。残念なことに11月の第2週から正規の先生が休暇から戻るため、Mervi とは11月5日でお別れです。そういう意味で、このパーティーは Mervi との良い思い出になりました。

その後は、日本の文化が大好きな弟を持つエストニア人の Katrin が「はっぱ隊」の"Yatta"をYou Tubeで流し始め、日本語の罵り言葉を教えろなどと半暴走状態。いろいろ考えてみたけど、日本語の罵り言葉ってどれも子供っぽい。大学生にもなってそんな言葉は恥ずかしくて使えない。Katrin 曰く、「外国語学習で最も大事なことは罵り言葉を覚えること」。

深夜3時を回ったところで、学生の溜まり場のバーをいくつか案内してもらった。エストニアにはロシア人もたくさんいて、バーとかクラブに行くのにはためらいがある。公平に見れば、早稲田の学生が馬場でバカ騒ぎしてるのと何も変わりないことだけど、アジア人にとってヨーロッパの、しかもロシア人も多い東欧の国のバーに行くのは、偏見も手伝って恐怖感を感じる。まぁ、図体のでかいスキンヘッドがバーの前でたむろしてたり、パーカーのフードを被ったいかにも悪そうな奴らがウロウロしてたら、日本人が不安になるのも仕方ないと思うけど.... 外国人が馬場の飲み屋に入ったら同じような身の危険を感じるのだろうか....

まぁ、こんな感じでエストニア人学生のキャラやナイトライフを垣間見た一晩でした。

明日は、エストニア人の友人 Aki、Maarja、香港のEugene の4人で Kõrgemaa というところへハイキングに行ってきます。

2009年10月22日木曜日

South Estonia












先週末に行って来た、エストニア南部への旅行について少々書きたいと思います。

ハンガリー人のDanielが運転する車に乗り、まずはエストニアの冬の首都、スキーで有名なOtepää という街へ行きました。いつも通り最初はツアリズム・インフォメーションで街の地図や名所について尋ねるのですが、なんと受付の女性が“日本語“を勉強していた!!こんな小さな国の小さな町の人が自分の母語を勉強していることにちょっと嬉しくなった。異文化交流の小さな小さな芽を見つけた瞬間です。その他、宇宙から気を集めている(!?)“Energiasammas“という謎のオブジェクト、ダライ・ラマ14世がお祈りをした“Püha järv“という美しい湖、エストニアの10クローン札に印刷されている“Sõjatamm“という巨大な樫の木(写真1枚目)、それらを囲むなだらかな数々の丘など、Otepääは数々の見どころを持つ非常に美しく平和的な街です。

その後、Otepääからさらに南に下った Sangaste という街の教会と荘園屋敷を見て回り、そこから東のVõruという比較的大きな街でプロテスタントの教会、ロシア正教の教会を見学しました。ロシア正教会内部では礼拝が行われていました。あたりも暗くなってきたので一晩お世話になる、Ruusmäe という小さな村の Rogosi manor house(写真2枚目) へ向かいます。宿の管理人さんはエストニア人には珍しくとても陽気で笑顔の素敵な方。その内ブログに書こうと思いますがエストニア人はもの凄くシャイです。一晩2人部屋+サウナでわずか190EEK(≒1700円)。他に宿泊客はなく、一晩、この立派なmanor house のあらゆる設備が使い放題。お茶・コーヒーを好きなだけ飲めて、真夜中に音楽を流しても問題なく、サウナも好きなだけ入っていられる。修学旅行の時のように童心に帰って楽しんだ、といってもまだ19歳。サウナでは Daniel と旅について語った。25歳の彼は東欧やバルカン半島の小国を中心にヨーロッパでは27カ国を旅し、アフリカや東南アジアにも旅をしたことがあるという。しかもヨーロッパ圏内の移動手段は飛行機ではなく、全て電車。さらにホテルには泊まらず必ずテント、寝袋持参のタフな旅を好む。今回の旅行の立案・計画者も彼で、旅行先に関する予備知識の量、旅先で例え言葉が通じなくても現地の人に情報を尋ね理解しようとする姿勢、旅行帯同者への気配りなど、旅に慣れているだけあって見習えることがたくさんある。生真面目な人かと思えば、ユーモアもあり、どこかネジが抜けているような面もあって、エストニアで出会った人の中で一番カッコいいと思える。

そんなことを考えながら夜が明けるとあたりは白銀世界。深夜から降り続いている雪の中を夏用タイヤで出発。雪の降り積もった野原にぽつりとそびえる"Plaani"ロシア正教会(写真3枚目)を訪れた後、再びエストニア最高地点の"Suur Munamägi"へ。先週の快晴とは打って変わり、展望はゼロ。そこから東へと向かって、Vana-Vastselinna という街の要塞跡、"Piusa Koopad"という砂岩の洞窟などを観光。途中の Obinitsa という街では、僕のお気に入りの映画"Into the Wild"に出てきたような乗り捨てられたバスがあったのですが、DVDのジャケットと同じ写真を撮るのを忘れてしまいました。その代わり、貨物電車の上に登って同じポーズの写真を撮りました(写真4枚目)。

今回の旅で一番ドキドキしたことは、エストニア-ロシア間の国境に近付いたこと。国境地点には"Stop"のゲートがあり、そこで写真を撮っていると、監視カメラに写った僕らを追いかけて来たロシアの国境警備兵(武装はしてないけど)に即刻立ち退くよう警告されました。これに懲りないDanielは再びその他の国境地点を目指します。次の国境地点には英語を話せるエストニア人国境警備兵(写真5枚目)が居て、彼によると、国境の10m付近には立ち寄ってはいけない、国境付近の写真を撮ってはいけない等のルールがあるとのこと。いろいろと危ないことをしつつ、次はロシア領土内を通るエストニアの道路へ行くことに。この道路はエストニア-ロシア間の協定でエストニアの車でもビザ無しで自由に行き来できる場所なのですが、この道路上で停車や、車の外に出ることは禁止されています。ここでも懲りない Danielは「タイヤの調子がおかしいから確認したい」とかなんとかいって車から降りようとしましたが、全員の反対によって彼の試みは退けられました(笑)危険なことをしたがる彼の性格にみんな少し呆れていましたが、僕は好きです。

そんなこんなでTartuへの帰路の途中、ふと空を見上げるとプラネタリウムを見ているかのような一面の星空。車を降りてしばらくの間、ガンダムの「めぐりあい」を聴きながら感傷に浸る.....、素晴らしい旅のエンディングとなりました。

2009年10月17日土曜日

I need change.


エストニアに来てそろそろ2ヶ月。こちらの生活にも完全に慣れましたが、自分にとって、少なくとも1年間しか過ごせない人間にとっては、落ち着いてしまうことは害毒以外の何物でもないように最近思えてきました。

タルトゥに来て間もない最初の2,3週間は、街を散策して,写真を撮って、いろいろなお店を巡って、自炊に悪戦苦闘して、周りの人にじろじろ見られて、新鮮さ、有意義さに満ちた日々を過ごせたのに、授業が始まって生活リズムが固まると、日本の大学生活とあまり変わらない日常に感じてしまいます。

何かしらの刺激を日々の生活に与えないといけない。今の自分は、留学という貴重な瞬間が無意味に流れ去っているのを傍観しているだけな気がする。

回りの環境に対する好奇心を持ち続ける必要がある。どんなに面倒くさいことでもやる必要がある。常に自分の生活に新しい風を吹き込むために、考え続けること、そしてそれを実行する行動力が非必要だ。例えば、「外は大雪だから今日は部屋にいよう」と考えたとしたら、その時点で今日得るものはゼロになる。ただ、「留学から必ず何かを得なければならない」というように義務的には考えたくない。「自分自身が一番楽しんでいる時が、たくさんのことを学び、吸収できる時だ」という言葉を、出国前に大学の先輩から頂いた。これ以上思考に奥入りしても無意味なので難しい話は抜きにして、単純に日々の生活が退屈になりつつあるから、何か刺激を欲している、ただそれだけです。全ては毎日を楽しく過ごすため。経験がどうとか、そういう事は自分が実際に何かに挑戦した後に考えるべきことだ。

ということでここ2、3日は、どうやって毎日に異なる色を与えることができるか、どのような方法が考え得るか、何が必要か、タルトゥの地図を眺めたり、尊敬すべき日本の友人の話を思い出したりして、打開策を模索しています。このブログを読んでくださっている方々、もし何か良いアイディアがあればコメントお願いします。

上の写真は、ルームメイトの Tuomas が解剖学の授業で使用している頭蓋骨です。顎が猪木っぽい。

明日から、1泊2日でエストニア南部への旅行に行ってきます。

2009年10月14日水曜日

寿司


今日は雪は降りませんでしたが、雨と強風の一日。太陽が恋しい。


エストニア語の授業ではテストが返却され、見事"A"評価を獲得。他の授業の予習・復習を疎かにして勉強してるからにはこの評価は当然得なければならないんですけどね。エストニア人の友人とはエストニア語でメールするようにしてるし、独学で進めてる教科書も4分の3が終わり、あと2週間もすれば文法事項は一通りカバーしたことになる。それからは、どんどん実戦経験を積んで会話能力とリスニング能力を高める段階。先生も友人もみな協力的な人ばかりなので、今学期中にはある程度話せるようになることが目標です。
ところで、今日はフラットメイトの Eemil(23)、Eevelt(20) のフィンランド人兄弟が寿司を作ってくれました。彼らもルームメイトの Tuomas と同様タルトゥ大学で医学部生として勉強していて、授業に行く時も、食事も、ジョギングも、いつでも一緒の仲良し兄弟。彼らはヘルシンキの出身で、ちょくちょく週末にヘルシンキに帰っては蕎麦や醤油、寿司用の海苔などを持ってきてくれる、非常に思いやり深く分別のある人たちです。フィンランド人は日本人と性格が似てるなんて言われますし、一緒にいて非常に過ごしやすい。そんな彼らが作ってくれた寿司にはしっかりと日本の寿司のネタが入っていて、とても美味しい。特に鮭の握りが最高。昨日、"TOKYO 寿司 BAAR"で食べたサワークリームの入った、法外に高い寿司の百倍は良かった。 スーパーで発見した日本酒"月桂冠"をちょびちょびやりながら、久しぶりの日本を味わった夕食となりました。
あぁ、日本が恋しい。

2009年10月12日月曜日

Snow!!


朝起きたら、が降ってました。まだ10月中旬なのに、日中の気温は1℃。初雪に少しテンションあがると同時に、外に出歩く気がなくなる。予報では今週は雨・雪が降り続けるようです。北国の厳しい冬が遂に到来しました。外気に触れると眼球がやけにヒンヤリする。ジーパンも凍ったように寒い。
この時期に雪が降る時点で僕には驚きですが、それでもここ最近、エストニアでは温暖化の影響で降雪量が減っているらしい。
今日は、エストニア人の友人 Aki に、同じくエストニア人で日本語を勉強している Maria を紹介してもらい、3人で Tartu 唯一の寿司レストラン"TOKYO SUSHI BAAR"に行きました。いろいろ日本の事、特にアニメについて尋ねられましたが、彼女らの知っているほとんどのアニメを僕は知りませんでした。民放で放送されているような有名なアニメじゃないから仕方ない。それなのに、"SLAM DUNK"、"ドラえもん"、"ONE PIECE"といった超有名アニメを全く知らない。香港の留学生がこういった王道アニメは全て知っているのとは全く対照的なこの傾向は興味深いことです。やはり日本とヨーロッパを隔てるこの距離が原因なのだろうか?それともアジア人とは好みが異なるのだろうか?
個人的には、彼らが情報を得る手段が You Tube などの動画サイトだということに原因があるんじゃないかと思う。香港は日本に近く、有名なマンガもすぐに翻訳されるから、日本とほぼ同じようなアニメが人気なんだと思う。でも、ヨーロッパの人は母語に翻訳された漫画をすぐに手に入れることはできないから、必然的に動画サイトに頼ることになる。僕はインターネットでアニメを見ることなんてあまりないから確信を持って言えないけど、動画サイトで鑑賞できるアニメは日本人が民放で見るようなものではなく、ケーブルテレビで放送されているようなあまり知られていないアニメが多いと思う。有名なアニメだと著作権の問題とかあって、1話まるごと投稿するのは厳しくチェックされるだろう。個人的な経験で言えば、ジブリ映画のサントラを携帯の着メロサイトでダウンロードしようとしても、アレンジされたのしか手に入らなかったし、You Tube で"ウルトラセブン"を検索しても1話も見つけられなかった(笑)それで、マイナーなアニメに行きつくんじゃないかな。いずれにしろネット難民の僕の推測なので、何かしらの方法でどんなアニメを鑑賞する方法があるんでしょうが、僕は知りません。
とりあえず彼女には"SLAM DUNK"だけは必ず見るよう伝えました。あと、できれば"ウルトラセブン"もと.....

2009年10月11日日曜日

Kassid







エストニア語で猫は kass と言います。こちらに来て早2カ月が過ぎようとしていますが、Tartuを含め、エストニアで旅行したあらゆる土地で猫をよく見かけます。

昨日も"Suur Munamägi"からの帰りのバスで外を眺めていると、刈り入れの終わった麦畑の中で何かを探している野良猫を3匹見つけました。先週"Taevaskoja"へ行った時も、Põlvaという街までハイウェイを歩いている途中に2匹見つけました。その他、Narva, Viljandiなどの比較的大きな街でも必ず2,3匹は見かけます。そのどれもカメラを向けると逃げるどころかレンズに興味津々で近づいてきてポーズまで取ってくれる。一番すごかったのはハイウェイの途中にあるカフェで見かけた黒猫で、食べ物を出すと後ろ足で立ち上がって手に入れようとする芸当まで披露。その後も足元にまとわりついて食べ物をねだり、車で出発しても途中まで走って追いかけてくる。「魔女の宅急便」のジジを思い出しましたよ。

こんなかわいい猫たちを見ていて、ふと某友人宅の“締め鯖“という名の“Norwegian Forest Cat“の子猫を思い出した。そういえば“ウナギ“とかいう名前の猫もいたな。本当の名前なんだっけ?関西スタンダードの命名が強烈過ぎる。

そういえば、3、4日前に人生で初めて野生のキツネを見ました。寮の部屋の窓からゴミ捨て場が見えるのですが、そこで学生が賞味期限を切らして捨てた食べ物を漁っていた。

まだ観光地以外の自然の中には入ってないので、ヘラジカ、クマ、オオカミ、ヤマネコ、イノシシ、シカなどにはお目に懸れてないけど、オリエンテーリングが趣味のエストニア人の友人がいるので、彼女に連れて行ってもらえればこういった野生動物に巡り合うチャンスが得られるかもしれないですね。

2009年10月10日土曜日

Suur Munamägi








今週は週3回あるエストニア語の授業が全て休講になったため、旅行三昧の1週間になる予定でした。しかし、水曜日に予定したラトビアの首都リーガへの旅行は雨降りのため行く気が起きず中止。金曜日から行けるはずだったロシア、サンクトペテルブルク2泊3日の旅も、ビザの申請に必要なエストニアのIDカードの発行が間に合わず断念。友人は皆ロシアへ行っているため、fuckin’ boringです。しかし、時間は無駄にはできない。幸いにも今日は快晴。取りあえずどこかへ行こうと思い立ち、標高318mを誇るエストニア最高峰!!"Suur Munamägi"へ行ってきました。

Tartuから南へ向かうバスに揺られること1時間半。Haanjaという小さな村で下車し、そのまま南へ車道を600mほど歩いた左手に"Suur Munamägi"への入口があります。"Suur Munamägi"とは直訳すると「大きな卵の丘」という意味。しかし、318mの高さといっても海抜318mであって実際に登る標高差はわずか62m。標識がなければ、「えっ、これ丘なの!?」っていうぐらい存在感がありません。頂上までは階段とスロープが延びていて、途中、木製の蜘蛛の巣、変な森の妖精、梟などのオブジェクトをところどころ見つけることができます。

頂上には真っ白な展望台があり、バックの青空とのコントラストが清々しい。この展望台は最初1816年に建設されたそうですが、当初は高さが足りず木々に展望を遮られてしまったために、その後4度に渡って再建設が行われ、1969年の改築で新たな階が追加され現在の29mの高さになりました。周囲50kmの展望を誇る展望台からの眺めはというと正直いまいち(笑)確かに気持ちのいい眺めですが、地理的な変化があまり見られないエストニアの土地を"Spectacular!!!"と形容するのもどうかなと……) 点で見ればエストニアも植物相や地理的特徴に富んでいるのでしょうが、空から一望する限り目に映るものは平らな台地とところどころに点在する湖のみ。あえてひねくれた評価をしてみましたが、何はともあれ、エストニア最高地点の土を踏みしめることができで満足です。10月ということで、木々も黄色や赤に紅葉していてとても綺麗でした。一面白銀世界となる冬に再び来てみたいと思います。

2009年10月5日月曜日

Taevaskoja




先週末を利用して、エストニアで最も美しい場所の一つと言われる"Taevaskoja"へ行ってきました。

二等辺三角形の形をした"Taevaskoja"のバス停には"WHERE THE SKY TOUCHES THE EARTH"の文字が。"Taevaskoja"とはエストニア語で「天の部屋」という意味で、どれだけ綺麗な景色が待ち受けているのか、想像を膨らませながら歩き始める。"Taevaskoja"は観光地と言ってもスーパーもカフェも何もないド田舎で、全くのノープランで来た僕はどちらに進めばいいのかも分からなかったのですが、ウロウロしている自分を見かけた人が家から出てきてくれたので、拙いエストニア語で場所を尋ね目的地の"Taevaskoja"へと辿り着くことができました。
"Taevaskoja"は"Ahõja jõgi"という川に沿って砂岩の崖が続く渓谷地で、"Suur(大きい) Taevaskoja"と"Väike(小さい) Taevaskoja"の二つに分かれています。初めに訪れたのは"Suur Taevaskoja"で、高さ40m、幅150mに渡り、いくつもの色に分かれた400万年前のデボン紀の地層を見ることができます。
川に沿って設けられた遊歩道を北へと進むと、次に訪れるのは"Emaläte (Mother Spring)"という泉で、洞窟の中から澄み切った湧水が流れだしています。この湧水で顔を洗うと永遠に若さを保つことができるという言い伝えがあるらしいですが、案の定、顔を洗い忘れました。
"Väike Taevaskoja"は高さ13m、幅190mの砂岩の崖で、"Virgin's Cave"という大きな洞窟があります。高さ5m、奥行き14mのこの洞窟にはブロンドヘアーの美しい処女がはた織りをしているという伝説があり、耳を澄ませばはた織り機の音が聞こえてくるとか.... 砂岩にはたくさんの穴が開いており、それらはエストニアの鳥"ツバメ"の巣として使われていて、大きい穴には"カワセミ"が住んでいるそうです。
川に沿って歩き続けると"Saesaare järv"という湖へと辿り着きます。70、80歳ぐらいのおじいさん達が湖岸に投げ出されたボートを陸に引き上げるのを手伝ったり、湖畔を散歩するお年寄り夫婦や家族を眺めたりして、ポカポカした太陽の下、1時間ほど何もせずに平和なこの土地に居られる時間を満喫しました。何もしないを楽しめる。そんな気持ちにさせてくれるこの"Taevaskoja"という土地が大好きになりました。
最初のバス停にあった"WHERE THE SKY TOUCHES THE EARTH"という言葉は、"Taevaskoja"の澄み切った水に映し出された青空を意味するのではないのかなと気付きました。幾層にも分かれた赤茶色の砂岩と木々の緑、地面に敷き詰められた苔の絨毯、天と地を染める青空に、数々の伝説。神秘の土地"Taevaskoja"の旅でした。