2009年9月5日土曜日

Tartu Linnamuuseum


かねてから計画していた博物館巡りを始めました。昨日行った場所は"タルトゥ市博物館"。


エストニアは、東をロシア、西にドイツ、北にスウェーデンといった大国に挟まれた地理的に重要な地域であり、その歴史は他国の侵略の歴史と言っても過言ではない、といった印象を博物館の展示品や資料から感じました。13~15世紀はデンマークやドイツ騎士団に支配され、、16世紀になるとイヴァン雷帝のもと領土を拡大し始めたロシアやスウェーデンの支配がはじまります。タルトゥ大学が設立されたのもちょうどこの頃、1632年スウェーデン王グスタフ・アドルフによってです。

エストニアはその後、1918年に初めての独立を手にします。しかし、喜びもつかの間、1940年、ソ連軍の侵攻、傀儡政権の設立により独立は再び失われ、半世紀に及ぶソ連の占領を経験しました。1988年、ソ連ゴルバチョフ書記長の政策により独立の機運が高まったエストニアでは、首都タリンで集会が開かれ、30万人もの人が独立を求めて大合唱をしたと書かれています。これは"Singing Revolution"といわれ、現在も5年に一度、首都タリンで合唱祭が開かれています。
エストニアの苦難の歴史に興味を持ち、ついつい大学の本屋でエストニアの歴史について書かれた本、"Estonia's Way"(Mart Laar)を買ってしまいました。本の序章で、「自由を求めて闘ったことのない国は決して自由になれない」という一節があります。他国からの侵略のない島国に生まれ、平和ボケした日本人と、常に他国の侵略に脅かされながらも逞しく、しぶとく生き抜き、独立を勝ち取ったエストニア人。両者にとって「自由」であることとはどのような意味を持つのでしょうか?深く考えさせられる一節でした。

予想以上に多くのことを学べる博物館巡りは今後も続けていこうと思います。この街にはKGB監獄博物館なんてものもあるようなので、もっともっと勉強できそうです。
因みにトップの写真は、アイルランド人作家Oscar Wildeとエストニア人作家Eduard Wildeの会話風景を描いた像です。実際はこの二人、面識はないらしいですが(笑)後ろに写った建物はかつての印刷所で、作家のPeter Ernst Wildeによって建てられました。Wilde押しすぎですね。この像のレプリカがアイルランドのGalwayという街にも寄贈されているようです。

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