2010年2月12日金曜日

võõrkeeled

「日本に帰ってから役に立つの?」

必死にエストニア語を勉強している僕に向かってルームメイトが放った非情の一言。

将来エストニア語を使った仕事をするために勉強しているわけではなく、単純にこの留学期間、エストニアの文化・生活に溶け込みたいと思って勉強しているだけだから(エッセイを書かなくていいという理由が主)、そんな指摘は意にも介さないが、以外にもエストニア語がエストニア語を母語としない人の共通言語として役立ったことがあった。

エストニア語インテンシブコースにハンガリー人の女の子が3人いて、授業中ペアワークなどで話す事が多いのだが、昨日、授業前に英語で話しかけたところ "Ma ei oska inglise keelt.(英語話せません)" と返された。

これまでの経験でヨーロッパの人はみんな、特に教育を受けている若者は(ロシア人を除いて)みんな英語がある程度話せると思っていたから、軽い衝撃。

もちろん、第二外国語はもとより六年間学んできた英語すらまともに話せない日本人とは違って(僕もその一人でした)、彼女らはイタリア語・ドイツ語・ポーランド語などを第一外国語として選択してそれらの言語は完全に習得しているので、単に英語を選択しなかったというだけの話だが。

エストニア人の場合、大国ドイツ・ロシアに挟まれている関係で老年層はドイツ語・ロシア語のバイリンガルは当たり前、若年層も英語はもちろん、ドイツ語・ロシア語が話せる人が多いように思う。

エストニアの様に、個々人の言語習得意欲に関係なく、国の規模、歴史のために第二、第三外国語の習得が当然と考えられる国が存在するという事は新鮮に驚き。島国でない国々、特にヨーロッパのように狭い地域にたくさんの国がせめぎ合ってるような地において、歴史・地理が個人の学習・生活に与える影響を考える機会になった。半年もヨーロッパに住んでいて今さら驚いてブログに書くような事でもないけど。

そして何より強調しておきたかった事は、エストニア語が役に立った。

1 件のコメント:

  1. 英語が出来ないというハンガリー人は,もしそれが本当なら,いまどき,きっと本国では変人と見られてると思う。本音というより,エストニア語を使いましょうという意味だったかも (^_^)

    ロシア語ができるエストニア人が今も多いのは,町に出たらロシア語でないと用を足せない時代があったから。たとえば,乗り合いタクシーで「XX通りとの交差点で降ろしてくれ」と運転手にロシア語で言わなければならなかったり,デパートの店員とロシア語で話さなければ買いものができない時代が実際についこの間まであったから,ある世代まではロシア語がそこそこ話せるし,もちろん学校でもロシア語は必修だった。

    大学でも,博士論文の審査にロシアの大学やアカデミーの教授が参加するのが当然の分野では,学位論文はロシア語で書かないといけなかった。大学の文学部などはなかなか原書が買えないから,英語・ドイツ語その他の西欧語の基本的な専門書などをロシア語訳でそろえるなんて時代がありました。

    ロシア人ならともかく,ロシア語が母語でないエストニア人が,英語の古典的言語学書をロシア語で読む姿は想像しただけでも可哀相。ただ,個人的なつてで原書を手に入れている研究者はいた。しかし,知らない間に郵便物から本が抜き取られていて,自分に送られてくるはずだった本が図書館の蔵書になっていたなんてこともあったらしい。その本には「XXさんへ」と本の著者が書いた献辞がそのまま残っていて,持ち主になるはずだった人がびっくりしたという話も聞きました。

    話がだいぶ脱線しました。

    返信削除