2010年2月27日土曜日

Kevad tuleb.

春はもうすぐそこに。

最近、散歩していると街の様子に微妙な変化がある。

雪が少なくなっている。何も考えずに歩いていたら気付かない程度ではあるが、道路脇に積み上げられた雪がここ4,5日の間に徐々に消えていってる。

今の気温はたったの0度。外に出たらなんと「雨」が降っていた。週間予報を見ても、この先下がってマイナス5度程度。

あと2日で3月。春の足音はここタルトゥにも確実に近付いている。日本人の心の花、「桜」は今年はお預けだろうか?

雪解けの季節。今日、ルームメイトが部屋を去っていた事で、彼に対していろいろとストレスを抱えていた僕の心の緊張もようやく解け始める。

3月と言えば、僕の誕生日。地元NGO主宰の、日本文化についてのディスカッション、エストニア・ラトヴィア国境にまたがる街 Valga の学校訪問など、イベント目白押しの3月。

僕の人生が始まった月だけあって、新しい物事の始まりや新たな人の出逢いに胸をふくらます。

でも、桜が見れないのは堪える。『あ~、日本に帰りたい。』

2010年2月25日木曜日

Taevas


ずいぶん前に「寄り道」がなんだのと書いた事があるが、時期が12月頃だっただけに授業終わるころには外は暗闇で結局街を散策できてはいなかったんだけど、冬至から2カ月が経ち、太陽が地平線の上に顔を出している時間もだいぶ長くなってきたので、再び寄り道帰宅を始めることにする。

今日は道中何か特別なことを見つけることはなかったが、冬の青空に伸びる幾筋もの雲がとても綺麗な1日だった。
こういう何もない1日でも、空が綺麗なだけで充実した気分になる。

2010年2月24日水曜日

Eesti Vabariigi aastapäev


今日、2月24日はエストニア共和国の独立記念日。


久しぶりに朝早く起きたので午前中2時間ほど街を散歩して回ったが、大学や市の建物、一般の民家にも、青・黒・白のエストニア国旗が掲げられていた。

近頃は気温もマイナス5度~8度ほどにまで下がってきて、マイナス20度以下を毎日のように体感した1月に比べれば屁でもない。いま、日本の気候はどうなのだろう。おそらくもう春の陽気に包まれていることだろう。

そういえば、ちょうど1週間前でエストニアに渡ってきて半年になる。新たな友人が出来るたびに繰り返される「何でエストニア来たの?」という質問に答えながら、この北の地へ辿り着いた自分の決断がいかに捻くれていたか、今さらながらに思い返してみる。

「日本人がいないから」。ただそれだけの理由。そんなこと言ってる割に、ここ2カ月全く日本語を話す機会が無い事を嘆いている自分を反省しつつも、やはり、怖いもの知らずで、というより無謀にもエストニアを留学先とした自分の決断は間違ってなかったと思う。

エストニアを南米の国だと思っていた友人がいたように、エストニアの認知度は低い。自分もエストニアは旧ソ連圏という事もあってロシアの様な国だと思い込んでいたし、ほとんどの日本人がバルト3国を一括りにして考えていると思うが、実際のところ、言語も部族も、文化も、国民性もそれぞれ異なる。

そんな未知の世界に飛び込んでみて、彼らの辛く暗い歴史に触れ、魔法のように美しい四季を目に焼き付け、歌を歌うように美しく響く言葉を毎日のように耳にし、それを学ぶ機会を得る、そんな経験ができていることに感謝するし、そんな経験をさせてくれるエストニアという地を素直に大好きになる。

そんな夢物語も残すところあと4カ月。2週間後には遂に10代捨てなければならない。

またも話の要点が分からなくなったが、とにかくこの国に居られる事の喜びを常に噛みしめて、1日1日前進していこう。

そんな考えが楽観志向で満たされた頭をふとよぎった、エストニア共和国92歳の誕生日でした。

2010年2月21日日曜日

Suusatamine

膝が痛いです。

今日、人生初めてスキーをしました(笑)

といっても、丘の無いエストニアでは(一応、南の方にちょこちょこあるが)スキーと言うとクロスカントリースキー。雪が斜めに吹き付ける悪天候の中、寮から徒歩20分ほどの"Tähtvere"という公園にて1時間ほどスキー靴と板をレンタル。

初めてだけど余裕だろと舐めてかかっていたが、スティックと板が引っ掛かって転ぶは、後ろに重心かけて転ぶは、スロープでスピード出し過ぎて転ぶは、転倒三昧。一緒に行った友人のほとんどがスキー初体験だったので、自分だけ恥ずかしい思いをする事はなかったのが救い。

エストニアに来て初めてまともな運動をしたから、もう疲労感た~っぷり。このままだと、半年後日本帰る時はボヨボヨになってるんじゃないかと心配だ。

スキーは大変だけど、やっぱスポーツするのは楽しいし、このまま素人のまま終わるのも癪なので、また挑戦しよう。

上の写真は街の中心を流れる、Emajõgi 川の上にて撮影(ただの道ではありません)。12月ごろから完全に凍っていて、川を歩いて渡ったり、スキーすることもできる。皇居の池に氷が張っただけでニュースになる東京とは大違い。これが雪国。

2010年2月12日金曜日

võõrkeeled

「日本に帰ってから役に立つの?」

必死にエストニア語を勉強している僕に向かってルームメイトが放った非情の一言。

将来エストニア語を使った仕事をするために勉強しているわけではなく、単純にこの留学期間、エストニアの文化・生活に溶け込みたいと思って勉強しているだけだから(エッセイを書かなくていいという理由が主)、そんな指摘は意にも介さないが、以外にもエストニア語がエストニア語を母語としない人の共通言語として役立ったことがあった。

エストニア語インテンシブコースにハンガリー人の女の子が3人いて、授業中ペアワークなどで話す事が多いのだが、昨日、授業前に英語で話しかけたところ "Ma ei oska inglise keelt.(英語話せません)" と返された。

これまでの経験でヨーロッパの人はみんな、特に教育を受けている若者は(ロシア人を除いて)みんな英語がある程度話せると思っていたから、軽い衝撃。

もちろん、第二外国語はもとより六年間学んできた英語すらまともに話せない日本人とは違って(僕もその一人でした)、彼女らはイタリア語・ドイツ語・ポーランド語などを第一外国語として選択してそれらの言語は完全に習得しているので、単に英語を選択しなかったというだけの話だが。

エストニア人の場合、大国ドイツ・ロシアに挟まれている関係で老年層はドイツ語・ロシア語のバイリンガルは当たり前、若年層も英語はもちろん、ドイツ語・ロシア語が話せる人が多いように思う。

エストニアの様に、個々人の言語習得意欲に関係なく、国の規模、歴史のために第二、第三外国語の習得が当然と考えられる国が存在するという事は新鮮に驚き。島国でない国々、特にヨーロッパのように狭い地域にたくさんの国がせめぎ合ってるような地において、歴史・地理が個人の学習・生活に与える影響を考える機会になった。半年もヨーロッパに住んでいて今さら驚いてブログに書くような事でもないけど。

そして何より強調しておきたかった事は、エストニア語が役に立った。

2010年2月10日水曜日

Ameeriklased

春学期が始まって3日目。

留学生の数も秋に比べて格段に減った。

そんな中1つ気付いたのだが、今学期はアメリカ人がやたら多い。団体協定があるのだろう、今日の「エストニア文化」の授業の半数はネブラスカ州からの留学生で占められた。

前学期はドイツ人留学生で溢れ返っていたが、

アメリカの侵略(笑)

2010年2月9日火曜日

Eestimaa

最近、浮足立っている。

今日、エストニア語文法の授業でエストニアを紹介したDVDを見た。スクリーンに映し出された約1時間半の映像が、近頃、旅行計画で一杯の僕の頭を正しいところに引き戻してくれた。

12, 1月のロシア・中欧旅行で世界に対する好奇心がさらに強まり、冬休み中は新たな旅行計画の作成に没頭。春学期は休暇があれば旅行、休暇が無くても旅行のつもりだったが、やっぱりエストニアの自然や文化、そういったものを強調されるとどうしても抗えない。

春にアイルランドとギリシャに1週間ずつ行こうと思ってた。どちらの国も変化に富んだ地形やとてもユニークな文化を持っていて、その点においてエストニアは知名度的に全く劣る。

それでも、エストニアに僅か半年ではあるが住んでいる身として、研究しているわけではないがこの国の持つ自然や文化を肌で感じる事が出来る立場にある身として、周りの国に目を奪われて、日本に帰った時にエストニアの事を何もしらないというのは恥ずかしい。

そんなことを考えてみて、学期中の旅行計画はアイルランドだけに絞り、もっとエストニアを旅してみようと思う。せっかく自転車も友人から譲り受けたことだし、週末にちょくちょくサイクリングに出かけよう。ある場所に長居すればその土地が自分のものになって、全てが当たり前の風景に変わってしまうけど、時にはレンズを入れ替えて当たり前だったものを詳しく観察してみる努力も必要かな。

世界旅行のために留学に来たわけじゃない。せっかくヨーロッパに居るのに周りの国に行くチャンスを逃すのは残念だが、エストニアで暮らすチャンスの方が限られてるだろう。

とりあえず、もう1度初心に戻ります。

よろしくお願いします、エストニア。

2010年2月8日月曜日

kevade semester

日本ではここ最近、朝青龍の引退やら、大雪やら、小沢さんの不起訴やら何やらで話題には事欠かなかったようだが、それとは正反対の話題もない、話す人もいない、勉強する気もないという、エストニアでの魔の1週間にもようやく夜明けが訪れ、今日から晴れて春学期が始まった。

秋学期と比べると、留学生の数はめっきり減ったように思われ、連日パーティー三昧だった我らが留学生寮 "Raatuse 22" も一向に冬休みの低調さを引きずっている。

今学期のエストニア語学習は全てインテンシブコース。文法の授業が週4回、会話の授業が週3回。受講生も少なく、クラスには、すでにエストニア語を2~3年間勉強した人、エストニア人と婚約している人、エストニアで働いている人など、前学期の楽に単位を取るために登録して授業はロクに来ないようなチャラチャラ留学生とは全く違った顔ぶれが並ぶ。

先生もゆっくりと分かりやすく話してはくれるがほぼエストニア語で通してくる。1ヶ月間の旅行でロシア語・ドイツ語が頭にこびり付いてエストニア語をだいぶ忘れかけていたために、「ん~、これはキツイかな」なんて思いもしたが、もちろん基礎歩的な語彙を使っての話しだが、以外にも結構スラスラと話せている自分に気付く。いやはや、9, 10, 11月の呆れるほどの努力は無駄ではなかった。休暇中も頻繁にエストニア語で facebook にメッセージをくれた友人にも感謝しつつ、今学期はさらなる精進に励みたい。

それと、早稲田で1年勉強したロシア語の勉強も再開しようと思う。1カ月ブランクがあったエストニア語以上にロシア語の記憶は微かなものだが、スーツケースの重さの1/5ぐらいは占めていると思われるロシア語参考書・辞書を無駄にしないためにも、エストニア語と並行してロシア語学習にも励もう。

秋学期は、最初は飛ばしたが後半ガス欠+いつもの飽きが来て全てが中途半端でポイ捨てされてしまった感がある。そこは素直に反省し、「継続」の大切さを心に留めて、残りの5ヶ月間を有意義に、そして楽しく過ごそう。

Kordamine on tarkuse ema.

2010年2月1日月曜日

Travel around Europe


1週間前に長い長いヨーロッパ旅行から帰っていましたが、疲労のため、経験してきたことの消化不良のため、そして怠惰な性格のため、ようやく更新です。
とにかく疲れた!3週間は長すぎる。ロシア旅行は精神的にきつかったが、今回は体力的にも途中からだるくなり、オーストリアのウィーンなんかは、曇天も合い重なってほぼすっ飛ばしてしまったようなところもありました。

-Germany-
・Köln - ゴシック様式の有名な大聖堂。旅の出発点。
・Aachen - ん~、特にない。ゆっくり見て回る時間もなかった。
・München - ドイツ南部最大の都市で、ビールの街。ここのゴシック様式の市庁舎は圧巻の一言。今まで見た市庁舎の中では最も派手に装飾されている。因みにタルトゥの市庁舎は世界で最も可愛い市庁舎だと思う。
・Füssen - あの有名なノイシュヴァンシュタイン城を拝んできました。危険区域の看板を無視して山を登ったりもした。
・Berlin - 生まれて初めて見るベルリンの壁。この壁が東西冷戦の終結期に壊された時、自分はまだ生まれてもなかった。

-Austria-
・Salzburg - Sound of Music で有名な街。しかし、Sound of Music tour は 37€ もするため諦め、自分の足でロケ地を訪ねようとするが迷ってお手上げ。
・Wien - ハプスブルク家の宮殿など華々しい首都像を描いていたが、灰色の空に加え、日曜日で人が見当たらず、店も開いてなく完全なるゴーストタウン。シェーンブルン宮殿にも言ってはみたが入場料高いは、たいして綺麗じゃないわで、そうそうに退散。

-Liechtenstein-
・Vaduz - オーストリアとスイスに挟まれた豆粒ほどの公国。インフォメーションセンターの受付嬢が一国の首都を"村"と表現するほどに小さい。ここでも空模様は好転せず、アルプスの谷間に位置する美しい村々も目にすることが出来ず仕舞い。

-Switzerland-
・Bern - 言わずと知れた高物価の街。ここである男性にホステルまでの道とスーパーがどこにあるかを尋ねたところ、逆に「日本人か!?」と尋ねられ、「そうだ」と言うと、「俺は日本の秋葉原で1年間働いたことがある。」「今日は土曜日、スーパーはもう閉まっている(7時半)からレストランに案内してやろう」って感じで超高級そうな日本食レストラン"歌舞伎"へ連れて行かれ、「金が無いので無理だ」と断ると、なんとなんと、店員に向かって「俺の友人だ。この金で美味いもの食べさせてやってくれ」と130スイスフラン(=約12,000円!!!)を手渡して行ってしまった。スイス人どんだけ金持ちなんだ(笑)目の前で起きたことが未だに信じられないままメニューを開くと「天ぷらうどん31スイスフラン(=約2,700円)」。!?!?!?!?
・Interlaken - スイスアルプスの有名な Eiger, Mönch, Jungfrau を登るユングフラウ登山鉄道。往復料金13,600円という法外な料金を払って半年ぶりに見る「山」を堪能。因みに "Top of Europe" と呼ばれ、標高 3,454m に位置するユングフラウ駅には日本の郵便ポストがあった。ここから叔父にポストカードを送りました(笑)他の友人にも送りたかったけど住所知らん.....
・Zermatt - ここに来たのはただ個人的に Matterhorn を見たかっただけ。夕方に着いた時は雲一つない空に聳え立つ三角錐が数十分ほど見れたが、翌日は曇り空でぼんやりとしか見えず、さらにホステルはどこも高い。村には宿とお土産やとレストランしかなく、スキーをしない客が来るところではなかった。

-Italy-
・Bologna - 一緒に旅をした Eugene の友人 Kenji (日本人じゃないよ)がここボローニャに留学していて、彼に街を案内してもらう。鉄道の設備・サービスの充実したドイツ、スイスから来たため、イタリアの列車の車両の汚さ、速度の遅さ、座席予約の高さにイライラした。
・Venezia - 世界屈指の観光地だけあって、街も、人も、天気も期待を裏切らない。歴史を感じさせる民家、運河を行くゴンドラ、海から吹く心地良い風、カモメ、迷路のように入り組んで狭い通り、縄に吊り下げられた洗濯物、あらゆるものが画になる街。人を殴り殺せるほどに堅いパンとクッキーで凌いできた食事もここだけは財布の紐を緩め、本場イタリア料理をごちそうになる。

-Hungary-
・Pécs - 南ハンガリーの大学都市。タルトゥでのハンガリー人の友人 Bogy の出身地でそれだけの理由で往復6時間もかけて行ってみた。実際、タルトゥのように小さくて、親しみやすく、オスマントルコ占領時代のモスクや、ローマ帝国時代のキリスト教徒の地下礼拝所・墓地のカタコンベがあったりと、歴史に富んだ街でもある。
・Budapest - ロシア旅行でご一緒した変態ハンガリー人 Dániel のアパートに3晩泊めてもらう。大陸ヨーロッパで最古の地下鉄、ヨーロッパ最大の議会、街を見下ろす丘に建つ城、ソ連時代の銅像博物館など、見るものに富んでいて、さらに物価も安い!! 中欧からやってきた旅行者にとって救いの街。

-Czech Republic-
・Praha - 旅も終着間近でテキトーに流す。もうヨーロッパの旧市街にはウンザリだ。全部同じに見えてくる。プラハで面白いのは、街の北にある丘の上に立つ巨大メトロノーム。旧市街の北西にある旧ユダヤ人ゲット-地区博物館も訪れる価値がある。

まぁ、これだけの数の街を3週間で回ったら疲れるのも当然だ。他にも、ハンガリーからチェコへの列車が Eurail Pass の有効範囲外のスロヴァキアを通った時、切符代 35€ を支払う代わりに車掌のポケットに 20€ を忍び込ませることで無券乗車を成立させてみたり、いろいろ楽しいことがあった。

まだまだ、面白い経験やヨーロッパと日本の違うところなど、気付いたことはたくさんあるが、もう面倒臭いので止めときます。