2009年8月22日土曜日

エストニアより




こんにちは。




18日にエストニアに到着していたのですが、エストニアでの生活環境に完全に打ちのめされブログを書く気になれない状況でした。。。




まず、日本人にとってエストニアは寒い。まだ8月だというのに風が冷たく、朝は2~3枚着こまないと寒いです。僕は日中もそんな格好ですが、たいていのエストニア人は半袖で街中を歩いています。空気は乾燥していて気温も20℃ぐらいなので汗をかくこともなく非常に過ごしやすい気候です。




空港到着後の19日には、タルトゥ大学で1年間チューターとしてお世話しくれるPilleさんと初顔合わせし、3時間ほどエストニアのの首都タリンの旧市街の観光に連れて行ってもらいました。中世の町並みが綺麗に保存されていて、下を見れば石畳の道が延び、3階建ての建物が整然と並び、色鮮やかで、本当に中世ヨーロッパの時代に居るような気分になれるところです。


街を歩いていて感じたことは、アジア人が全くいないこと!!歩いていると回りの視線をすごい強く感じます。その後、バスで大学のある街タルトゥへ移動したのですが、バスターミナルとバスの中いずれもアジア人は自分一人で回りの注目を集めていたような気がします。隣の人も珍しそうにこちらをチラチラ眺めていました。


タリンからタルトゥまでは2時間半ほどかかったが、その間景色はというと何もない。ただただ、草原と畑と森林が永遠に続き、起伏も何もなかった。


タリンは観光地も豊富で観光客で賑わっているため多少アジアからの旅行客も散見されたが、エストニアの精神的首都と呼ばれるタルトゥには全くアジア人がいない。バスから降り、スーツケースをガラガラ引きながら歩いていると必然的に注目を集める。


エストニアに行きたい、マイノリティになりたいと夢を描いていた渡航前の自分と、エストニアに来てみた後の生活の現実を考えると、一つ大きな思い違いをしていたようだ。


マイノリティになるということには2重の意味があった。一つは日本人から解放されること。留学先にアメリカやイギリスを選んで常に回りに日本人がいるという環境を避けたかった。この考えに完全に陶酔していた自分は、もう一つの重大な意味を見過ごしていた。あるいは分かっていても考えようとしなかった。それは、エストニアという国の中でマイノリティになること。


つまり、日本人の社会から飛び出すことで自分はマイノリティになれる。しかし、人は社会から外れて生きていけない。まして自分は勉強のためにエストニアに来たのだから。そうしてエストニアの社会に入ることでも自分は超少数のアジア人というマイノリティになった。


前者の意味でのマイノリティは喜びを伴うが、後者の意味でのマイノリティは孤独で寂しい。


言葉が通じないことよりも何よりも、孤独であることがこんなにも寂しいことなのかと痛感した。


だが、自分の選択はもう覆らないし、これから1年間辛くても逃げずに生きていかなければ、ここまで来た意味がなくなる。覚悟を決めて頑張っていこう。

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