2009年11月30日月曜日

Novembrilõpus

う~ん、エストニアに来てとうとう3カ月が経ってしまった。最初の2カ月は旅行にも勉強にも(と言ってもエストニア関連のことだけ)充実していたけど、11月は腐りに腐った1カ月となってしまった。ブログも3週間も更新してなかったなぁ。。。

11月にあったイベントや思ったこと

・「ロシアは後進国か否か」というお題のエッセー(6~8枚)。課題量は大したことないけど、如何せん9・10月は勉強してなかった。11月をエッセーのための期間として旅行は控えたにもかかわらず、図書館で文献を探す気にならず、書き始める気にもなれず、重い腰を上げたのは締め切り2日前。とりあえず授業には出ていたから、授業で聞いたことと高校の世界史で習ったことだけを頼りに書いた。まぁ、成績も単位もどうなっても構わない。。。(単位はくれ)

・PÖFF(-Dark Night Film Festival)という毎年恒例の映画祭(11/27~12/6)が始まった。昨日は香港の"Accident"という映画を観賞。"Death Note"を思い起こさせるストーリーだった(別に模倣だとか、細部が似てるとかそういう話ではない)。12/6には"空気人形"の上映がある。つい最近の映画らしいけど、予告編見た限りでは怪しそう。。見たことある人いたら感想聞かせて下さい。PÖFFとは別に"2012"という映画も友人に連れられて観に行った。劇場に入るまでどんな映画か知らなかった。在り来たり過ぎてつまらんかったけど、チケット700円だし、まぁいいか。

・何故かここ2~3週間かなり暖かい。気温は安定して5~8℃。10度以下を暖かいと言えるようになった自分は寒さに強くなったのだろうか。にしても、せっかく街全体がクリスマスを迎えてライトアップされ始めたというのに雪が降らないんじゃ絵にならない。

・クリスマスで思い出したが、今年のクリスマスはロシアで過ごすことになる。ハンガリー人の友人の Daniel と帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルク・北極圏の街ムルマンスク、フィンランドのヘルシンキなどに行って、大晦日にはタルトゥに帰る予定。ムルマンスクでは運が良ければオーロラが見えるが、そんな希望を抱く前に防寒対策しないと凍死するだろう。12月の北極圏って気温何度だ?というか Daniel ロシア語話せるのか?

・1月は中欧旅行。ドイツ→オーストリア→リヒテンシュタイン→スイス→イタリア(北部のみ)→ハンガリー→チェコを3週間で回る予定。念願のアルプスを拝めるということでとても興奮しております。スイス滞在日数を増やすため、旅行計画も全て引き受けました。安上がりに済ますために、"Couch Surfing" にもトライしてみるつもりです。新たな世界、人、文化に目を開き、新たな刺激と好奇心と情熱を作り出すまたとない機会。ただ1つの懸念は、ロシア史の期末エッセーの締め切りが旅行期間真っ只中の1/15ということ.......まぁ、いいか。

・11/27に"Georgian National Evening"というタルトゥ大学在学のグルジア人留学生によるパーティーがあり、グルジアに完全に魅了されてしまった。美しいカフカス山脈、目にも止まらぬ激しく華麗なステップと情熱的な民族音楽が魅力のグルジア・ダンス、黒海の気候に育まれた葡萄から絞ったグルジアワイン、美しい女性、そして何よりグルジア人のもてなしの心。昨年のロシアとの紛争で危険なイメージしかなかない国だったが、いやはや、僕のハートはがっちりと掴まれてしまいました。来年行くこと決定!

・コロンビア人の友人 Carlos と来年6月にノルウェイ・スウェーデン北部で屈強ハイキング生活をすることが決定。期間は5日間だが、物足りなければ1度街に戻って食糧・装備を整えた後、再び野生へと戻ってさらに5日間過ごす予定。エストニアに山がないことに病んでいる僕には神の救いといっても過言ではない Carlos との出会い。Carlos が"ゲイ"なことにだけ気を付けます(笑)

・7月に日本へ帰る際、シベリア横断鉄道で帰ろうかな、なんてバカなこと考えてます。実際、飛行機と比較して安くつくし、車窓は比べ物にならないし、帰路においても新たな発見・出逢いがあるということを考えると、これは是非とも実行に移すべきことか。。。但し、連れが1人は必要。ロシアで、ましてモスクワで1人は流石に怖い。スキンヘッドには拉致されるだろうし、警官にはいちゃもん付けられて賄賂要求されるだろうね。悲しいかな、それがロシアの都会に対する固定観念だ。ロシア語も勉強しなきゃ。

まぁ、こんな風に旅行計画に夢を膨らませ、エッセー・テストという現実からの逃避を図った1カ月が11月でした。明日から12月です。希望に満ちた2010年を迎えるために、12月は帝政ロシア史の口頭試験と期末エッセーへの勉強に追われることになるだろう。全ては後の楽園的生活のために、今は歯を食い縛って勉強に専念しよう。

2009年11月7日土曜日

Talv

11月になって、曇天と風雨のエストニアの秋が終わり、今日はどっさり雪が降りました。

外には雪に浮かれ騒ぐ"大学生"、母親の引く橇に乗った幼児、除雪機によってかき分けられた雪の山。いよいよ北国の冬が始まる頃でしょうか。テレビがないのではっきりとは分かりませんが、友人の話によると、今年のヨーロッパは冬の到来が早いとか、今年の冬は暖冬が続いたここ2,3年よりも寒いとかなんとか。

日本ではいくつか嬉しいニュース、悲しいニュースがありましたね。

まず、ヤンキースの松井秀樹のMVP。怪我でどんなに周囲の期待を裏切っても、メディアやファンに叩かれても、松井はいつも謙虚に、言い訳をせず、辛抱強く耐えて練習を重ねる姿が印象的ですが、その苦労・努力がついに報われたという感じですね。星陵高校時代も明徳相手に5連続敬遠されても感情を出さず1塁ベースへ走り続けた。松井ファンではないけれど、そういった人間性-謙虚さや忍耐というものには感服する。もう一度、"ゴジラ"が大暴れしてくれることを期待します。

もう一つ、悲しいことに、落語家の円楽さんが亡くなりましたね。「笑点」は円楽さんが司会をやっていたころからずっと見ていたので、落語会にも日曜夕方のお茶の間にも悲しいニュースでしょう。心からご冥福をお祈りします。

2009年11月5日木曜日

Carlos




昨日、新たな友人ができました。

Carlos というコロンビアからの留学生で、タルトゥ大学で記号学を勉強しています。

何故彼について書きたいかというと、彼がアメリカで Outdoor Education のライセンスを持っているから。

ご存知の方もいると思いますが、僕は昨年、早稲田大学の夏季短期留学プログラムの一つ「ユーコン原野で学ぶリーダーシップ研修」に参加し、カナダのユーコン準州で NOLS – National Outdoor Leadership School の指導のもと、1週間大自然の中で暮らし、アウトドアスキル、リーダーシップスキル、環境問題などを学びました。

残念ながら Carlos はNOLSのインストラクターではありませんでしたが、互いにシェアできる情報や思い出がたくさんありました。例えば上に掲載した写真。ほとんどの人は、彼が何故フライパンの上で火を焚いているのか分からないと思います。実はこれ、ブラウニーを焼いているところなのですが、Carlos は一目見て言い当てたし、もう一方の「大自然でのトイレの仕方」を教えている写真でも、お互いにこの爽快感をシェアすることができました(笑)

彼は合衆国でカヤック、カヌー、ハイキングなどを教えていて、実際に彼が受け持ったプログラムの写真を見せてもらい、南米の自然などについてもいろいろと教えてもらった。その他、原野に出て行くときの計画や注意点など、僕が昨年教わってすでに少し忘れかけていたことを思い出させてくれもした。こういう知識や経験をシェアできる人が日本にも留学生の友人にもいなかったから、言葉では言い表せない嬉しさを感じています。

夏になれば、彼とともにハイキングに行くこともあるかもしれません。北欧ハイキングの旅、バルト3国自転車の旅、クリスマス中欧の旅など、旅の計画で僕の頭は溢れ返っているところです。勉強どころじゃありません。今月エッセイあるのに。

とにかく、趣味を同じくする同志ができたことを本当嬉しく感じています。

2009年11月4日水曜日

Mulle ei meeldi Tallinn





先週末の Tallinn への旅行について簡単に書こうと思います。

Tallinn の旧市街についてはいくらでも情報が手に入るので他に譲るとして、その場で感じたことについて少々。

第一に、率直に言って、つまらなかった。Tallinn 旧市街は完全なる観光地。中世の衣装を身に纏って営業スマイルを振りまく人々。値の張るレストラン。たくさんの観光客。そしてたくさんのロシア人。日本人の僕が言うのも失礼だけど、この街では"エストニア"という国を感じなかった。これが都会の宿命なのかな。

歩いていてもロシア語ばかり耳に入ってくる。エストニア語が聞こえるとホッとする。そんな時初めて、自分はエストニアに恋をしている、と気が付く。1年間勉強した、あの美しいロシア語がどれだけ不快に聞こえたことか。Tartu に2カ月住んで、旅行もエストニアの田舎町にばっか行ってきたから、この街の雰囲気には耐えられなかった。ルームメイトの Tuomas によると、Tallinn には酔っ払いフィンランド人やロシア人などによる観光客を狙った犯罪・トラブルも多いらしい。

エストニア人の友人や先生とも話したけど、Tartu がエストニアで一番の街だということで意見が一致する。Tallinn の様な華やか旧市街があるわけでもなく、大きなショッピングモールがあるわけでもない、人口も Tallinn の4分の1しかないけど、誰もが好きになる街、それが Tartu 。Tallinn のクソ高いレストランで食事をしている時、安く、美味しく、親切な店員のいる Tartu のレストランがどれだけ恋しかったことか。この感覚を Tartu を知らない人に言葉で説明することはできないけれど、知らず知らずのうちに誰かに恋した時と同じ感覚です。言葉が見つからなくても、その人を愛して疑わない感覚。そしてこの街を作り上げているのはやはりこの街に住むエストニア人たちであって、どれだけシャイな彼らであっても、僕はもうエストニア人に恋しているわけですね(笑)

Ma armastan sind, Tartut!!!!

感情的になりたくなるほど大好きな街 Tartu についてでした。

第二に、写真を撮ることに飽きた。特に教会などの建物や展望台からの景色などの写真には飽き飽きしてきた。香港の留学生に教わって凝り始めた写真だけど、今自分がしてる旅行は写真を撮るための旅行なような気がしてならない。アングルを探すのに時間を使うのはもったいないし、面白い風景を見つけるために辺りを探し回るのも疲れる、写真を撮った後に編集するのも面倒だ。今回の旅は写真の師匠 Eugene と行ったけど、お互いにより良い写真を撮ろうと競っているような雰囲気があってそれも嫌だった。そして何より、写真に「人」が写っていないこと。どんなに綺麗な写真でも下らなく見えてくるのはそこに「人」がいないからだ。ここに写真を2枚掲載したけど、教会が写っているほうの写真は嫌いになった。もう一方の写真の男性が誰かは知らないけど、よっぽど見ていて心動かされる。

旅行中、教会の受付の女性と、展望台でエストニア音楽のCDを売っている男性とエストニア語で話す機会があった。拙いエストニア語でも彼らの母語でコミュニケ―ションしようとしている日本人の話を優しく丁寧に聞いてくれた。両方とも僅か5~10分程度の会話だったけど、この旅行中に見てきたどんな素敵な景色や建物よりも心に焼きついた思い出だ。公園を散歩しているエストニア人の写真も数枚撮ったが、旧市街で撮ったどの写真よりも美しく輝いている。

十人十色。人それぞれ旅に求めることは違うけど、少なくとも自分がしたいことは写真を撮ることではないと気付いた、ある意味とても重要な Tallinn への旅でした。